インタビューINTERVIEWS
中村 卓夫 Nakamura Takuo 陶芸家
2022.12.09
様々なアーティストの作品づくりにおける“趣向”が垣間みえるインタビューから、
忙しなく働くビジネスパーソンにとっての日々の仕事に活かせる小さなヒント/気づきを・・・
「作品は“つくる”
というより“成る”」
“うつわ”で未来をひらく
陶芸家 中村卓夫氏の
趣向をのぞく
陶芸家 中村卓夫 氏に、日々の作品づくりにおいて大切にしていること・作品づくりにおけるコンセプト等についての考えを訊いてみた。
「作品づくりにおいて大切にしていること」についてお聞かせいただきたいです。
中村さん:
2つあります。
1つは、その器(以下、“うつわ”)というままで進化していきたい。自分のアート対“うつわ”というかあるいはアート対工芸、あるいは美術オブジェ対“うつわ”になるのかな。僕がこの道へ入ってからの状況というのはどんどんオブジェ・アート化へ向いている工芸っていうのを見てきているんですけど、そこから抜け落ちる文化、ものの背景の部分を何とかキープしていきたいよねって思っていて、一口で言えば使い手、使う文化。社会の中での工芸なり“うつわ”なりというのが何を担ってきたのかという部分をそろそろこの年になると客観的にというか、ある程度理解できる年齢になったんで、じゃあそれを自分の仕事の中にどうフィードバックして、生かしていくか、それをどう伝えていくかというのは、僕のスタンスとしてありますよね。
もう1つは、これは卓夫の技法と言えるのか、制作方法なんですが・・・
「作るというよりも成るなのかな。」
土という素材で僕はやっているのでこれは僕のというより土の特性だと思うんですが、下に落とせば、僕の家のギャラリーにある作品みたいに、グニャっと形が生まれる。ワイヤーで切るとその切り口と切ってないところの2つがむちゃくちゃ僕にはかっこいいんですよ。だからそういう風にシンプルな表現というものに徹しようと。
土が土としてグニャっと動く。それをつくるのではなくて・・・
「土が動く仕掛けを僕は設定する。」
仕込むけど出てくる動き、出てくる結果はあくまでも土が動いているもの。根底にはちょうど僕が経験した『ミニマリズム』、あるいは日本で言う『もの派』のような思想の中でものづくりをスタートした背景があるので、それが今もずっと継続しているという風に思っています。
「オブジェ」と卓夫さんのおっしゃる「“うつわ”」の明確な違いがあるとすると何ですか。
中村さん:
僕の言葉としては、完結するかしないか。そこで造形的に完結しているものなのか、そこから変化というか展開が効くものかどうか。
まぁアートにしても決して完結したものだけではなくて、それこそ今風にいえば、参加型だとか体験型だとかっていうと主体がどっちにあるのかさえ定かでないものまでアートとして出てきているので、ある意味、“うつわ”もそうなのかな。かっこつけていうと、作品の良し悪しというのは使い手側の能力(能力といっては失礼だけど・・・)、見立てによる。
そういう意味で、ちょっと話題がわき道にそれると、僕は怖くないのは、自分の作品の良い悪いは、僕のせいじゃなくてあなたのせいですよっていうのあるんですよ(笑)。 とりあえず水は入るでしょ。あるいはとりあえず花は入るでしょ。ここに空間はあるでしょ。だからこれを“うつわ”として生かしてくれる、面白く“うつわ”にしてくれるかくれないかはあなたがこれをどういうシチュエーションに持っていくかですよと。もしそれがつまらなかったら、僕の作品がつまらないんじゃなくてって(笑)。言い訳なのか脅迫しているのかわかんないんですけど(笑)まあ半分は脅迫しています(笑)。
そういう「発想をかき立てられるものかどうか」ということが重要ということですね。
中村さん:
それが自分の中の絶対条件ですよね。使えるだけ面白いものだけっていうのは世の中にそれこそたくさんあると思うんですけど・・・
「そのたくさんの中で「えっ?」って思ってもらえるかどうか。」
あるいは「何これ、ちょっと変じゃない?」でいいんですよ。美しいとか美しくないじゃなくて変でもいいから引っかかってもらうことが自分の仕事として要件かなと。そこから何か発生していく。 そういう状況を提示できるかできないかが自分の作家性にかかってくると思っています。
卓夫さんの作品は、一見すると「なんだこれ」というものばかりな気がしていて、それは狙ってつくられているのですか。
中村さん:
仕掛けています。
仕掛けてはいるんですけど、僕の中でゼロからそれを仕掛けとして考えているんじゃなくて、正直言っちゃうと日本の文化の中にそういう要素があることを僕は知っている。それは親もこういう仕事をし、金沢の中での数奇者がいる環境で育ったというのがあるかもしれません。金沢の数奇者って京都のとはまたちょっと違うんですよ。それでその独特の金沢文化・あるいは旦那文化っていう人もいますが、そういう父の生活感を日常の中で経験したことがひょっとしたらどこかで湧き出て、水脈を通って、今僕の中で生まれているのかな。
だからこれ(上の写真の“うつわ”)にも花入れていますけど、向こうづけで、実際、中に食材を入れるとき、少なくともスリットがあるので、水のあるものは無理なわけです。こぼれちゃう。でもお客様の注文・これに対して、欲しかったのは、そういうものだったんですよ。だから、あえてスリットを開けています。それでどうすんのって。「すみません何か中に白木もしくは経木でもいいので一つ入れ子を作りませんか。」と。そうするとここへ出したり、入れたりできる。これがただの独立した箱だと、ちょっとしんどいかなと思うんですが、こういう空間・隙間を持っていることで、ちょっと外ともつながってくれる。そういうように、工夫いただける余白がある。
まさに仕掛けですね。あえてスリットをつくることで人の行動を促し、考えさせるということですね。
中村さん:
そうなんです。僕はそういう発想にというか、僕がこの仕事に入った時に父親が金沢弁で一言だけ、「金沢でやるんやったら 焼けるだけ、作れるだけでは、ダチャカンぞ、そこに趣向がなきゃ、金沢の人は、ウンと言うてくれんぞ。」と僕に言ったんです。それって何かなと思ったんですが要は仕掛け。あるいは、ちょっと脱線しちゃいますけど、お茶会をすると当然お客様を招くわけですね。それでこの亭主から僕は注文をもらう。この亭主と僕の中でこの日のお茶はどういうお茶なの、お客様はどういう方なのということを色々話し合って亭主役の人の想像つかないものを出していかないと次の仕事が来ないんですよ。亭主の思う通りのものだったら、「ああいいものができました。」で亭主はまた次に何か発想した時、「あ、今度はこの人(別の人)に頼もう」とかって話になっていくわけじゃないですか。何かわけわかんないけど面白かったものを出しておくと、次何か、というときにちょっと「卓夫さんちょっと来て」って声がかかって、「今度こういうお客さんが、こんな会をやるんだけどあんたどう思う?」と。そういうやり取りでずっとお付き合いが継続されていくし、お互いが刺激し合い、何かを学びあっていける関係がある。僕はこれは、金沢の文化だと思っていて、そのことをこの仕事の中でというのが一つあります。
“文化”という文脈で。伝統工芸は様々な人に影響を与えうる存在だと思っています。そこで、ご自身が伝統工芸をやっている意義をお聞かせいただきたいです。
中村さん:
正直そこは自分でも言葉をまだ見つけられていないところなんですけど。文化って一口で言ってしまって解決できるかっていうと、どうもそうではない。それで伝統の文化です伝統文化ですって言っているときは、安に日本文化ですって言っているわけですよね。自分が今やりたいことっていうのは日本と括らずにインターナショナルに世界と共有できる価値観を目指していきたいというか、そういったビジョンに自分のつくったものが少しでも介在していくんだったら、こんなかっこいいことはないし、嬉しいことはない。
これまでも・これからも世界を舞台にご活躍する中村さんから見て、何か影響を受けた人・モノなどはありますか。
中村さん:
プラスの意味では、実はあまりないんですよ。これかっこいいな、この人の作品良いなと思うと同時に、自分とのギャップを自覚せざるを得ない。だからそこに引っ張られるということはほとんどないですね。結局自分の中に戻ってくる。それから、何か感じることはいろいろありますけど。
「結局は自分自身と向き合っていくということ。」
それしかないです。
「自分自身といかに向き合えるかどうか」が重要だということですか。
中村さん:
まさにそうですね。それで僕の中ではそれ賞味期限って言っているんですけど。自分の作品に対する賞味期限っていうのがあるんですよ。作った時は「いや俺ってすごいぞ」と思うわけ「いやーかっこいいもんできた」って。それがワクワク眺められている間は美味しい期間ですよ。それが半年もつこともあれば1年持つこともあるし、あるいはもう焼き上がる段階でもう既に間違えてたってこともある(笑)。
でも全部やっぱり全力ではやっていますからね。だからこそ、少しでも賞味期限の長いものを作りたいとは思っているんですよ。でも反面、使い手側との中で何か刺激し合える、それも一つ、その作品の賞味期限なので。飽きてしまったり、訴えられなくなったときっていうのは、そのシリーズ・そのコンセプトそのものがそろそろ限界だということです。
コンセプトにも寿命があるよっていうことですね。
中村さん:
そのとおりです。ただスタートの時は、コンセプトってそれこそ一生続くものとか、あるいは作家としてやっていくとき、このコンセプトはずっと続くものだと思っていて一生懸命勉強もし、自分なりに作ったつもりなんだけど、どうもコンセプトそのものが時代とともに期限があるぞと。有効期限が。僕にとってはその根本的なコンセプトの限界が「今」というこの時代ですね。それは痛切に今感じています。
「“コンセプト”という言葉が、もう賞味期限をむかえているんですよ。」
それは今、若い作家の方々と話している時に、彼らからほとんどコンセプトという言葉出なくなりました。そのコンセプトという言葉に載せてかぶせて自分のことを語ることの重さみたいなことの方が、逆に返ってくるような気がするので。かといってその作っていくときの趣旨、コンセプトに代わる言葉って何なのかなって考えていて、今思っているのは“趣向”なのかなと。趣向っていってしまった方が、社会とのつながりがフラットになる気がする。コンセプトといっている時というのはどうしても作品にのっけていかないといけないけど、趣向といってしまうと、ひょっとしたらより共有しやすくなる。また何か一つ、今の時代の人たちと語り合えたり、そこから何かお互いの言葉のやり取りが生まれるのかなとも思う。
コンセプトという言葉は、僕たちの世代が散々、あらゆるジャンルで使い尽くしてきた言葉なので。そこに今あえて入り込む必要はないだろうと。それで僕たちの好きな言葉じゃないけど、おじさんが云々言ってんのは置いといて、もうあなたたちで考えて、今の社会とどういう風に関わっていくのかっていうのを見せてくれと思う。趣向というのは、そのもの・ジャンルにこだわらなくても共有できる何か。コンセプトというのは、あまりにも使い勝手が悪くなってきているんで、だったら趣向と言ってしまった方が今の時代とコンタクトが取りやすいのかなと思います。
卓夫さんのいう“うつわ”という「趣向」をベースに実践している具体的なプロジェクトについてお聞かせください。
中村さん:
願わくば、建築にとっても僕の工芸にとっても共有する“うつわ”、(“これ趣向って言っていいのかな”)にできるとかっこいいよねと思っていて。建築空間を片方に置いてしまう方が僕にとってはすごく自分の“うつわ”を考えるとき、サイズを考えるときあるいはそれがディテールに至るまでやっぱり便利なのかな。便利っていうのはその語り合える・語り合うための道具としてはすごく便利という意味。
実際ベルリンで、ゆらぎの茶室という茶室を作ったんですけど、茶室って僕にとってというか、これは意外だったのはドイツ人にとってもそうなんですけど、ただの「建築」という語りの中ではなくて、やっぱり”THE茶室”なんですよ。そんな伝統のままの茶室が片方ありますよねっていう中で、それを現代的にどう表現するかがキーだった。テーマとしては全体の美術館のコンセプトは体験型アートで、そういう文脈で日本のお茶文化、茶室=体験型アートだと自分たちは再解釈した。だから、日本の文化であると同時に現代のアート、体験アートとしての茶室を作りたいというテーマだったんですね。ですからある程度、領域的には、日本の、あるいは自分にとってのお茶っていうのはすごく近いところにあったものだから、それをどう解釈しどう表現するかっていうのは割と簡単ではないけど、抵抗なく入っていけました。それで同時に、「とはいえあなたたちは茶室にこういう要素は想定していないでしょう?」みたいなものを結構大きく仕掛けました。その一つは“うつわ”。工芸で経験している触覚。その建築にとって触覚っていうのは、誰かは表現しているのかもしれないんですけど、茶室の中でさほど強調はされてないという思いがあったんで、その触覚をベースに一つ考えようと。もう一つは思想的な意味での茶道というか茶の湯。お茶の世界というのをもう一つは自己、自分自身を見つめる機会としてお茶を捉えようと。大きくはこの2つをベースにお茶室を考えたんです。
改めて喋るのが怖い領域ですけど、僕は単純にお茶っていうのを自分自身との関わりの中で成立し、完結していく文化だと捉えています。利休が初めてパフォーマンスとして始めたと僕は考えているんですけど、そこの延長上に結局は自分自身に返ってくる精神性みたいなものを取り込んでいるのが、お茶という文化なんだというふうに理解していて、そうすると自分との関わりの中で始まり、自分の中で完結していくという最小単位の中にあるものだとわかる。でも、今回、改めて現在のお茶の現場を見た時に感じたのは、全くそうではないメッセージを送っているということ。その一つのお茶碗を共有して味わうこと。あるいは、一つのスペースを何人かで共有して楽しい一つの時間を過ごす。もともと一対一だったものが、多数になってきて、その多数の中で共有できる価値って平和だよねとなる。特に今、平和っていうとそれこそ欧州で起きている問題で平和っていうのが改めてすごく重要な要素になってくるんだけど、それをメッセージとして送ろうとしているのが今の茶道なのかなっていうふうに解釈したんですよ。そうすると広い座敷の中で多くの人が一緒にお茶をいただくこと、僕たちは“大寄せ”って言っているんですけど、大寄せの茶の根拠っていうのはそこにある。
「お茶がもし本質的に変わってきているんだったら、それを受け入れる道具というか建築(茶室)っていうのが、時代に合わせて変わっていかないといけないのではないかって。」
“お茶”を正しく伝えられないんじゃないかっていうのがあって。その多くに見せる、多くの人に体験してもらうための装置としてのお茶室を作ろうと思いつくった。場所はベルリン。お茶って何?という場所。興味はあるけど僕らのように血肉になっている人たちではない人たちに、そこの空間に座っている時間をどう感じてもらえるかっていうのがすごく建築的な意味での新しいメッセージになる。
「人に見せる」という切り口で、お茶を語った時に空間がどうなるかというところを提案されたっていうことですね
中村さん:
そうですね。それはやりたかったことですね。美術館の中のお茶室なので、本来、博物館・美術館の中だから外光を遮断して展示するのが普通。でも彼ら(ベルリンの方々)にとっての茶室は自然光の中であって初めてっていう思いがあって、美術館の中に1箇所だけ、光を入れるスペースを確保してそこに僕たちの茶室を置いているんですよ。光を取り入れる機能を美術館側に持たせたっていうことがあって。
サイズの小さな茶室が美術館の空間を変えてしまう。スケールの小さなものが大きなものに影響を与えるということですね。逆転していますよね。今の時代を象徴しているようにも感じます。
中村さん:
僕にとって、一番重要な言葉っていうのは一つあるんですよ。悔しいけど、酒飲みすぎて死んじゃったやつで、彼が僕に言ったのはその「日本文化の中でも日本の建築に壁ってないんだよ。」って言ったのがいるんですよ。そのことは今でもずっと必ず何かを考えるときのベーシックなところでずっと繋がっていて。ひょっとしたら壁を持っている文化と壁を持ってない文化、そこに一つ糸口というか。オリジナリティが生まれるとするとそこなのかな。だから建築の中のアートワークは、この時も壁を支持体にあるいは壁に寄りかかって何かを作る作品ではなく、そういう作品は僕は1回も作ってきていません。壁がないことを想定して空間に向き合うというか。それで壁がないっていうのは・・・田の字の民家じゃないけど。「じゃあ床の間の壁ってあれ壁じゃないの?」って彼に対して疑問を持ったんですけど、あいつはきっと「これは“うつわ”だ」って言うんだろうなと思ったんですよ。それで壁がないということは日本の文化にとって相当大きなキーワードになるのかなというのはずっと思っていますね。
(文/聞き手:佐野勇太)